2026.07 更新
寄稿コラム:不伝流剣法─古流剣術を正しく後世へと繋いで行くこと
戦国末期に生まれた古流剣術・不伝流。徳川家や松江藩に受け継がれ、明治の衰退と失伝を経て、十四世 戸田不伝により現代に復元されました。その四百年に及ぶ系譜と、無駄を排した実戦本位の技術、そして刀と歴史を愛する仲間たちが集う道場の姿を、不伝流剣法 藤原幸衡 様にお伺いしました。
(不伝流の「伝」の字は旧字体が正式ですが、文字化けを防ぐため、新字体で表示させていただいています)
不伝流剣法─古流剣術を正しく後世へと繋いで行くこと
1. 不伝流の歴史
不伝流の発祥は遡ること400年以上前の戦国時代末期。同時代の兵法指南・伊東 不伝によって創始された鹿島新當流の流れを汲む古流剣術です。 江戸時代初頭、伊東 不伝の高弟である戸田市左衛門孫市は門人の中で唯一奥義を習得したとされ、師の息女を娶り流派を相続。戸田不伝を称します。孫市の父・七内もまた不伝流を修練していたと考えられ、父をも超える技量で不伝流宗家を相続したと思われます。 この戸田 七内は戸田 宗光を祖とする徳川家譜代の家臣で家康公からの信任厚く、七千石の幕閣として将軍近侍役を職務としていました。孫市もまた卓越した技量から父より家康公の身辺警護として推薦され、その職務を全うしたと伝わっています。 家康公没後、孫市はその功績から松平 直政公(家康公・孫)によって松江藩(現在の島根県)へと招かれ近侍・指南役を仰せつかり、後の不伝流居合術の礎となります。 戸田 孫市が松江藩へと招かれた後、不伝流は伊藤 長太夫 次春が門下に加わり、孫市の嫡子・重昌が三代目宗家を相続。伊藤 次春は一伝流の祖・浅山 一伝 一存の門下であったが一存没後は諸国を廻る旅へ出たと思われ、数十年に渡る武者修行の末に戸田 孫市・重昌の元に落ち着いたのではないかと推測されます(前半生は謎の多い人物です)。
松江藩戸田家 家譜見聞録。九代当主・忠純著の古文書。この書から戸田家には不伝流剣法が伝わっていた事がわかり、流派再興へと繋がった。

家譜見聞録を基にした開祖・伊東不伝から、現宗家・戸田不伝までの家譜

不伝流再興までの概略
2. 不伝流剣法について
不伝流では戦国時代の介者剣法をルーツとし、実戦本位の剣術を当時のまま形を変える事なく修練しています。刀礼や血振りといった礼儀の所作を除き、戦闘に必要のない無駄な装飾動作を一切廃した完全なる実戦剣術。所謂活人剣というものではなく、文字通り相手を斃すための剣です。 不伝流の所作は一般的な居合道の動きと比較して、かなり独特な動きに見えるかもしれませんが、これが戦国由来の古流剣術の動きでもあります。- 刀は右拳と左拳を隙間なく握る
- 構えは足のスタンスを広く取り腰を落とす(ただ体勢を低くするのではなく腰重心)
- 前後移動は足で歩くのではなく腰に重心を置いたまま摺り足で行う(ナンバ歩き)
- 更には腰の回転でもって前後左右に重心ごと移動する
- 体捌きの後に斬るのではなく、体捌きと同時に斬る
- 受けてから斬るのではなく、受け流しながら斬る
- 全ての動作において可能な限り両腕両足を内に入れて身体を締める事を心がける

戸田不伝(左)と藤原幸衡(右)による組太刀稽古。相手は待ってくれない実戦さながらの組太刀。無用の動作を一切廃し、隙の無い合理的な動きを最短で行う本当に戦える剣。木刀であっても「当てる」のではなく、あくまでも「斬る」ことを意識する。

札幌市で行われた日本美術刀剣保存協会主催の日本刀展にて演武・試斬を行う

3. 技術を正しく後代へ受け継いでいくこと
不伝流では「年功序列」「〇年続ければ〇段取得」「入門した順に上の段位へ進む」、これらは一切ありません。相応の技量まで達したと判断されない限り、昇段の資格は与えられません。 何より正しく技術を身に付けること。段位を取得することによって、今度は後進へ指導する立場となります。分不相応の者へ段位を与えてしまうと指導レベルの低下を招き、指摘すべきを指摘できず、間違った技を指導するなどの問題を引き起こします。つまりは技術が正しく伝わらないという事。これが数代も続けば取り返しの付かない程に劣化の一途を辿り、その技は最早別物になり果ててしまう事でしょう。 特に基礎をしっかりと身に付けていないと後々大変な苦労をします。不伝流の指導部には藤原という基礎をこれでもかというほどしつこく叩き込む人間がいまして、以下の様に述べています。 いかに高度な技を覚えたとしても基礎動作を疎かにしていると、それは上辺だけで全くサマにならない。逆に基礎動作がしっかり身に付いていれば基本的な技であっても凄い実力者というのが一目見てわかる。構えを見ただけで実力の八割、構えから振り下ろしまでの一連の動作を見ればその人の実力のほぼ全てがわかってしまう。 見る人が見れば一発でわかってしまうんです。4. 同じ趣味を持つ仲間達
ここまでの内容からもの凄い厳しいイメージを持たれてしまうかもしれませんが、現宗家・十四世 戸田不伝は気さくな人柄(本当に強い人は優しいんです)で、「同じ趣味を持つ仲間を作る場所」として活動しています。戦国時代発祥の剣が故に和気藹々と物騒な言葉が飛び交っております(笑)「今のは〇んだわ」とか「それじゃ〇落とせんわ」とか(笑)。そして、武道や格闘技にありがちな厳しい上下関係といったものは一切なく皆が同じ位置に居て、皆が平等です。 刀を扱う武術ですので続けていけば自ずと真剣に興味が湧いてくるわけですが、戸田宗家は日本刀への造詣がかなり深く、その影響から皆さん例外なく古い時代の日本刀(主に古刀)に興味を持ち始めています。また、かなりマニアックな歴史知識を持つ人が数名所属しており、元からの歴史好きは勿論のこと、これまで歴史にあまり関心の無かった人も触発されて興味を持ち始めるなど、今では刀剣と日本史が不伝流共通の話題になっています。
藤原幸衡の刀剣コレクション。居合から始まり趣味は日本刀へと拡大。 銘や鑑定書などは一切アテにせず、自分の目で確かめて「これだ」と思った物だけを購入している。
5. 長く楽しく続けられること
始める理由は人それぞれで、日本の古武術に興味がある、日本刀が好き、歴史が好き、強くなりたいなど、千差万別です。しかし、折角始めたのに続かなければ意味がありません。見て覚えろ、と言ってもわかるわけがない。たった一度教えただけで覚えられるわけがない。折角、興味を持ってくれたのに教える側次第では嫌になってしまうかもしれない。厳しく耐え忍ぶ事よりも楽しく続けられること。不伝流では初心者・未経験者の方にもかなり親切に指導しています。 前述しましたが始める理由は人それぞれ。皆に共通していることは剣術・居相が好きだからということ。好きだからこそ長く続けられるわけです。 長文になりましたが、これを読んで少しでも興味を持っていただけたなら幸いです。
不昧公200年祭(没後200年)松江城の馬溜にて行われた不伝流演武会

出雲大社の拝殿にて戸田不伝(右)と藤原幸衡(左)による奉納演武。 戸田家と出雲国造家は縁戚関係にあたり、その縁から行われた奉納演武。
※記事の内容は、寄稿頂きました 藤原幸衡 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。
